三重からみつめた東日本大震災 ~被災地・被災者・避難者の2年、そして今~ 2013.3.17

記事公開日:2013.3.17取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 2013年3月17日(日)13時から、三重県津市の、みえ県民交流センターで、みえ災害ボランティア支援センター主催の「三重からみつめた東日本大震災 ~被災地・被災者・避難者の2年、そして今~」が開かれた。東日本大震災と原発事故から2年。世間の関心が薄れていく中、避難者や被災者の支援活動を続けてきた、三重県在住のボランティアの人たちが思いを語り合った。

■全編動画
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  • 報告・パネルディスカッション コーディネーター:山本康史氏(みえ災害ボランティア支援センター)
    第1部 三重県内避難者支援活動を通じて見える被災者の今 パネリスト 木田裕子氏(hahako 支援ねっと@みえきた)/上野正美氏(ふくしまいせしまの会)/小林真美氏(避難当事者)
    第2部 被災地支援活動を通じて見える被災者の今 パネリスト 樋口博也氏(四日市運送株式会社)/花里紗知穂氏(三重大学災害ボランティア支援団体MUS-net)/小林益久氏(松阪市副市長)/齋藤秀喜氏(被災当事者)/若林千枝子(みえ災害ボランティア支援センター)
  • 講演 ダニエル・カール氏「今、できること」
  • 対談 ダニエル・カール氏/鈴木英敬氏(三重県知事)

 第1部は「三重県内避難者支援活動を通じて見える、被災者の今」というタイトルで、ディスカッションが行なわれた。パネリストは木田裕子氏(hahako 支援ねっと@みえきた)、上野正美氏(ふくしまいせしまの会)、小林真美氏(避難者)の3人で、司会は山本康史氏(みえ災害ボランティア支援センター)が務めた。

 2011年の11月に、福島県から三重県に避難してきた小林氏は、「私の家は、福島第一原発から60キロの距離だった。危ないから逃げた方がいい、という親戚の助言に従った」と、避難の経緯を話した。当時、妊娠中だった小林氏は、3月12日に一家で栃木県に避難し、その後は愛知県まで移動するも、3月末には山形の実家に移り、5月に出産した。一緒に避難した夫は、福島に戻り、仕事に復帰したという。小林氏は「実家では、インターネットでの原発事故の情報チェックが日課となったが、専門家の意見もばらばら。子どもの将来がひどく心配になった」と語った。

 小林氏は、自主避難者を支援するボランティア団体の存在を知り、まず、子どもと岡山県へ疎開。その後、三重県への移住を決めた。ほどなく夫が合流して家族は集結したが、小林氏は「一般的には、仕事の都合などで家族が分断されるケースが少なくない。自分たちは恵まれたケースである」と述べた。これに同意した山本氏は、「家族のみならず、地域の分断すら起こっている」と強調した。

 上野氏が所属する、ふくしまいせしまの会は、被災地の子どもたちの保養支援を行うボランティア団体である。上野氏は「被災地に暮らす人たちにとっては、疎開や移住がベスト」との認識を示しながらも、「いろいろな理由で、簡単にはいかないのが現実」と指摘。被災地の子どもたちを対象に、夏休みなど長期の休みを利用した保養支援を、三重県で行っている自分たちの活動を説明した。

 「放射能汚染のリスクが指摘されているエリアから、逃げるべきか否かの議論は、専門家の間でも意見が分かれる。だから、そこに住む人たちは混乱する」と力を込めたのは、避難者支援のネットワークを運営する木田氏。避難や疎開の選択に、グレーゾーンを設けてはならないとの趣旨である。木田氏は「避難したいが、経済的事情などでできない被災者に対し、避難すべきだとは提言できなかった」と明かし、「一方で、放射能汚染の不安で胸がいっぱいで、避難を優先したいと考えている人たちがいた。われわれは、まず、そういった人たちの支援に活動の重きを置いた」と振り返った。

 続く第2部は、「被災地支援活動を通じて見える被災者の今」とのタイトルで、ディスカッションが行われ、まず齋藤秀喜氏(被災者)が、あまり語られない岩手県沿岸部の現状を紹介した。「月日の経過につれ、移転先は、やはり海に近い方が便利、との声が優勢になってきた。高台移転を力説する雰囲気は、もはや過去のものだ」と、早くも震災の記憶が風化しつつある現状を危惧した。

 齋藤氏の以外のパネリストは樋口博也氏(四日市運送)、花里紗知穂氏(三重大学災害ボランティア支援団体MUS-net)、小林益久氏(松阪市副市長)、若林千枝子氏(みえ災害ボランティア支援センター)。インターネットを駆使し、全国から物資支援を募り、岩手県の復旧に協力してきた樋口氏は、「すでに物質的な支援は足りている。現地では、精神的な支援が求められている。たとえば折り鶴は、かなり喜んでもらえる」と、被災地のニーズの変化を指摘した。

 全国青年市長会が展開する、陸前高田市向けの復興支援活動に従事してきた、民間企業出身の小林氏は、「現地では、元気な人と下を向いたままの人に二分されつつある」と述べ、「たとえ細くても、長く支援を続けていくことが大切」と訴えた。そして、陸前高田の市役所で改めて実感することとなった行政上の不自由さを、次のように語った。「震災孤児の問題が表面化するにつれ、学費の面倒をみたいと挙手する団体が登場するのだが、市役所は、対象者の選抜が条件であることを理由に、広報することに難色を示した。平等ではないというのだ」。小林氏は、地元の新聞社の協力を取りつけて宣伝を行い、「筑波大生1人を含む3人が、奨学金を利用することができた」と報告した。

 第2部終了後は、山形弁を話す米国人として有名なタレント、ダニエル・カール氏が講演を行なった。被災地を訪問しているカール氏は「復興の進展は、自治体によってかなり差がある」と語った。「宮城県では、大都市である仙台に近いほど、復興が早い印象だ」とし、「東北産の商品を、少しでもたくさん買ってほしい」と呼び掛けた。

 講演終了後、カール氏は鈴木英敬氏(三重県知事)と対談した。カール氏は、被災地の役所に外部からクレームが多く寄せられることに懸念を表明し、「県外からやってきた人が、役所の職員に、被災者への対応が悪いなどと詰め寄ることに、私は違和感を覚える。職員たちも被災者なのだ」と語った。その上で「被災地に暮らす人たちが、仮設住宅の造りなどに不平を言うことは、元気の表れ」とも述べた。鈴木氏が「この2年間で、被災地が元気を取り戻した面は確かにあるが、まだまだという面も目立つ」と応じると、カール氏は「岩手県の山田町では、震災の被害を免れた少数の漁船を、皆で使い回すなどして、すでに復興に向けて立ち上がっている。私たちは、捕った魚を保存するストッカーを寄贈した」と話し、「これからは、ビジネスの復興を支援する活動がますます重要になる」との認識を示した。

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