IWJの会員数が頭打ちに(「IWJ通信」10月26日号 巻頭言より) 2012.10.26

記事公開日:2012.10.26 テキスト
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(岩上安身)

 岩上安身です。いつもご支援いただき、ありがとうございます。

 ツイッター上でお騒がせしておりました「重大なお知らせ」を、私の結婚話ではないかと楽しみにしてくださった方がおられましたが、じつはそうではなく、もう少し厳粛で厳しい事実のお知らせです。

 【IWJ会員数報告:10月1日現在】全有効会員数3,568名(内サポート会員864名、一般会員2,704名)

 【IWJ会員数報告:10月20日現在】全有効会員数3,565名(内サポート会員854名、一般会員2,711名)

 このように、会員数が3名減少。サポート会員も10名減少。会費を振り込まれない方は有効会員数から除くので、この結果になりました。初の減少です。

 この会員数が頭打ちになった現実について、真面目に考えなくてはなりません。すでに何回も述べてきているように、会員数が最低限でも5千人規模に達しないと、現在の配信規模は維持できず、無理に現在の規模を続けていけば、IWJは収支が合わなくなり、赤字になってしまいます。しかし、3500人から伸びない。この事実をどう見るか、見方はまず、二つに分かれます。

 第一は、楽観論です。まだまだ悲観することはなく、これからの努力次第で好転する。会員の増加のために、何をなすべきか、考え、実行する、という積極策をとります。目指すは収入の拡大であって、支出の絞り込みではない、という考え方です。

 第二の考え方は、慎重論です。この3500人という数字がIWJのもつ支持者数のマックスと考え、このサポーターに支えられるメディアとして、適性規模にダウンサイジングする。
これ以上、劇的な収入増は見込めないと考え、支出を絞ります。最大の費目は、人件費。一日あたり、あるいは一週間あたりの配信の本数を減らし、その分、人員を絞り込みます。あるいは、人員の削減、もしくは報酬の一律カット。ペイワークではなく、ボランティアのお願いを増やす。それらを組み合わせます。(私自身は、自分の私財をIWJに注ぎこんでいるわけですが、その資金の返済を待つことで、IWJのキャッシュフローが枯渇しないようにしています)

 昨日、金曜日官邸前デモを主催する反原連のメンバーの方が取材に来られました。本をお書きになるそう。「岩上さんは自覚があるかどうかわからないが、IWJが中継し続けたのは、影響が大きかった」と、その方は語ります。でも、そう言うご当人は会員ではありません(苦笑)。

 IWJは自分が会員にならなくても存続していくメディアだと、皆さん、思い込んでいるのだろうと思います。無料でほぼすべてのコンテンツを配信し、事後的にカンパ等で支えてもらう現在のやり方は、小規模の時は可能でも、ある程度の規模になると、限界があるのかもしれません。

 10月末の期末まであと一週間を切りました。とにかくやらなくてはならないことを、やりきるしかない。来期の見通しを考えると、気が遠くなるけれど、でも、やれることをやっていくしかない。

 中小企業の経営者は、寝ても覚めても、経営のことが頭から離れないというけれど、本当にその通りなんだなと実感します。夢に見る。というよりも、寝ている間にも考えています。一番頭と心を悩ましているのは、ご縁あって一緒に仕事をし始めた仲間たちの、これからのことです。

 せっかく仕事を覚えてもらったのに、11月になり、新しい期が始まると、全員、今までと同じようなペースで働いてもらうのは難しいかもしれない、それが本当に心苦しい。せっかく夢が形になりかけてきたのに、いくつかは、諦めなくてはならない。諦めてもらわなくてはならない。それが、実に実に悩ましいです。

 これは、おととい本当に見た夢の話。
Deep Night1は、階段状になっているホールで開催したが、似たような形状のホール。講演しているのは孫崎さん。熱弁を振るっておられる。聴衆は皆、真剣に聞いているが、全部をスムーズに理解できない様子。もどかしい。
会場から質問する若者。見ると、うちのスタッフの一人。真剣に未来を憂いている様子。ああ、こんなに熱くなっているんだと、心を動かされる。事務所では見られない姿。

 場面は変わり、コアスタッフや外注スタッフやアルバイトやボランティアの方々数十人に、仕事の割り振りや指示をしている場面。つまり毎日の日常。新しい仕事のアイデアも浮かぶが、同時に支払いの悩みも。ここが生々しい。日常と何も変わらない、こんなリアルな夢は見たことがありません。

 本日、10/26金曜日、IWJの中継配信予定は25本。配信本数は、毎月のように増やしてきました。
どれも必要なことと思うからです。伝えられなかった事実は、この世に存在しなかったことになります。メディアの黙殺は国民に対するネグレクトに他ならないと思っています。

 メディアコントロールという言葉は、人の口の端に乗るようになりました。ですが、メディアによるネグレクトは(「国民の生活が第一」隠しや、夏までの金曜首相官邸前抗議行動無視など、その典型)まだ広く知られていません。情報を過度に娯楽化して消費させてしまうメディアによるスポイルも、まだまだ理解されていないように思います。

 IWJの情報発信本数を急激に増やしていったのは、日本社会の劣化が急速に進む現状に、危機感と焦燥感を抱いたからです。やむにやまれずのことでした。拙速だということは承知しています。それでも、目の前の「報じられないけれど、報じなくてはならない事実」を見過ごすことができませんでした。

 IWJ計画性がない、ビジネスになってない、細部に粗がある等々、経営者としての私へのご批判はどれももっともです。余裕があれば、すべて善処したい。だが、粗削りでも前へ前へと走り出さなければならない時もあります。時間の猶予がない、そう痛感するからです。

 IWJのすべては、僕がジャーナリストとしてやってきた仕事を、ネットを通じて拡張したことにあります。原点は1人。プラスしても、2、3人のアシスタント。「WEB IWAKAMI」が出発点。
ですが、岩上安身個人のパーソナルなメディアからIWJまでは、なだらかな地続きではなく、そこには「段差」があります。

 きっかけは、2009年夏の政権交代直後に、金融庁と外務省の大臣会見がオープン化されたこと。その会見に通いながら、全省庁の大臣会見が開かれる日を想像しました。

 記者クラブメディアをいくら批判しても、オープン化された時、記者クラブに属さないフリーやネットや出版メディアが会見に出なければ、意味がありません。しかし、フリーはそれぞれバラバラで(だからこそ意味もあるのですが)、10数人の大臣の会見に分担して出席する、などということはあり得ません。

 会見は毎週二回、火曜と金曜日、閣議のあとに開かれます。10数人の大臣の会見はほぼ同時刻。同時にカメラと記者(1人で兼ねる場合もある)のチームを、10数カ所に派遣しなければなりません。

 今、IWJは同時多元中継をしばしば行っているので、不思議に思われないかもしれませんが、全大臣の会見に同時に中継チームを派遣し、多元中継を行うなどということが弱小ネットメディアに可能だとは、当時、誰も思わなかったと思います。

 また、当時からすでに、全国各地からの多元中継も夢想し始めていました。
全国47都道府県の知事の会見を中継しよう。そのネットワーク力が蓄えられれば、各地方・各地域からの事件、出来事の報道も可能になっていく。東京だけで10数チャンネル、地方は最低でも47チャンネルというマルチ配信を2009年の秋にはイメージしていました。

 問題は、その規模になると個人メディアではなくなる、ということ。組織を編成しなくてはならなくなります。コストやリスクが大きくなることはもちろんですが、複数チームの差配という、手間もかかります。人も育てなくてはなりません。個人のジャーナリストとしてやりたいことを犠牲にしなくてはならないでしょう。

 自由に、身軽に動き、旅をしながら作品としてのノンフィクションを書くことも可能なフリーランスの立場と、複数チームのリーダーとして、小なりといえど、ネットメディアの経営者として拘束され続ける立場とでは、全く違います。人生の質そのものが変わってしまいます。

 当時、僕は、介護をしてきた父を看取り、子どもも育て上げ、親が残した借金を返済し、肩の荷をようやく下ろして身軽になったばかりでした。身動きが取れない時代が長く続いたので、本音を言えば身軽に動き回りたかった。しかし、数ヶ月の逡巡と試行錯誤を経て、結局、僕は「個人」として動き回るより、「組織」や「ネットワーク」の形成という事業を優先する選択をしました。2010年の春、小さな事務所を構え、「WEB IWAKAMI」から「IWJ」への移行を宣言し、「移行期通信」というメルマガを出しました。

 2010年12月には、会社を設立(自分1人しか社員はいませんでしたが)。日米同盟の問題、上関原発問題、TPP問題、消費税増税問題、陸山会事件問題に取り組み始めていました。そしてIWJ設立からわずか三ヶ月後、東日本大震災が起きて、恐れていた原発事故が現実のものとなりました。

 地震直後、IWJには、僕以外には、メディア経験のほとんどない若い男の子が2人いただけでした。そこから東電会見や保安院会見の24時間中継や、抗議行動の可視化を始めました。ツイッターで助っ人を呼びかけ、何人もの若者が中継を手伝ってくれ、その中にはそのままIWJに残ってコアスタッフとなった者もいます。震災から三ヶ月後の6.11の際には、全国55箇所同時中継を実現しました。振り返ってみるとほとんど狂気の沙汰です。

 ですがこれは、震災の前からマルチチャンネルのビジョンを描いていたからこそ、実行に移せたことです。そうでなければ、いくら泥縄が得意といっても、あの非常時に急に即応できるわけがありません。

 全大臣の会見中継の次は、全国同時多元中継、その次は世界ネットワークの構築だ、などと、自分の胸の中では考えていました。法螺話にしか聞こえないので、人にはほとんど話しませんでしたが、大真面目にそう考えていました。実際、海外からの中継も、今や現実に行い始めています。30日の火曜日には、スイスのジュネーブから福島集団疎開裁判の原告の方々が国連で演説する模様を取材中継します。

 業務が急速に膨らめば、出費もかさみ、無理がいろいろなところに出てきます。たくさんの人に寄付・カンパやボランティアで支援してもらわなかったら、とっくの昔に行き詰まっていたでしょう。ここまでこれたのも、支持して応援してくださる皆さんのお陰です。改めて感謝したいと思います。本当にありがとうございます。

 これからがもう一つの岐路です。収入が増えて支出とバランスするか、支出を削って現在の収入のレベルで帳尻を合わせるか。IWJの経費の最大の費目は人件費。それを抑制するには根本的には配信本数を削減しなくてはなりません。

 この週末の金曜日に25本配信すると書きましたが、これを5本程度に抑え、その規模に人を削れば、すぐにでも採算は合うことでしょう。もちろん、会員もカンパも減るかもしれません。そうしたらまた配信本数を減らす。収入が減ったらまた配信を減らす、と繰り返していったら、何のことはない、個人メディアに逆戻りです。

 採算は合うかもしれない。僕一人が個人のネットジャーナリストとして生きていく分にはそう困らないでしょうが、IWJを立ち上げようと志した原点の理念からは遠ざかることになります。

 この曲がり角を乗り越えて、初志を貫けるか否かは、まさにこれから。

 個人メディアの延長ではなく、チームとして機能する組織的なネットメディアを作ること。公共性の高い情報を無償で広く人々にシェアし、事後に我々のそうした姿勢への共感としてカンパしてもらうシステムが、可能かどうか、という実験の成否もまさにこれからです。

 究極的には、市民からどれだけ支持されたかが、決め手となります。我々の適性規模は、もしかしたら、会員3500人規模なのかもしれません。それならそれで、そのコアな会員のニーズをより尊重する方向に向くべきかもしれません。

 方法についての考え方はいろいろです。何かが絶対的に正しく、あとは間違っているというわけでもありません。見通せるのは、半年先。手探りで、持続可能な規模と形態を探り当てるまで、あと一、二ヶ月、様子をみようと思います。拡大均衡の方向へ、できる限りのベストは尽くしながら。

 種を蒔いてから、芽が吹き、実りを得るには、時間がかかります。僕らは何もないところからまず走り出しました。振り返ると、走ったあとに積み上がったアーカイブが4000本近くあります。この整理になかなか手をつけられませんでしたが、この数ヶ月、かなりのエネルギーを割いて整理し続けています。4000本近い本数の動画も(変換、アップロード、ハイライト作成)、テキストも(リード、サマリー)、タグ付けも。それを見やすく検索するためのシステムも構築中です。アーカイブの充実は、会員向けのサービスです。

 目に見えないところで全力投球中なので、どうぞ、今しばらくお待ちください。

 そして、一人でも多くの方に定額会員となっていただき、IWJの活動を支えていただければと思います。

 よろしくお願い致します。

岩上安身 拝

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