天皇制ファシズムと「国家神道」、そして柳田國男が温存した「神道」のドグマとは? 岩上安身によるインタビュー 第707回 ゲスト 島根大学名誉教授・井上寛司氏(近代・現代編) 2016.12.15

記事公開日:2017.1.12取材地: テキスト動画独自
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(取材:岩上安身、文:平山茂樹)

特集 平成から令和へ天皇と日本の歴史を考える
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 現在の安倍政権のもとで、大日本帝国で猛威をふるった「国家神道」が復活の兆しを見せる中、古代にまで遡って「神道」の起源を探ってきた岩上安身による島根大学名誉教授・井上寛司氏へのインタビュー・シリーズ。3日目である2016年12月15日には、明治維新後の近代、さらには戦後社会における「神道」の展開について聞いた。

 幕末に尊皇の志士の間で流行した「国体論」の影響を強く受けた明治の元勲らは、大日本帝国憲法や教育勅語を通じ、天皇中心主義的な「国家神道」を国民に刷り込んでいった。なかでも、大日本帝国による侵略戦争を精神的な側面から肯定し、国民を戦争へと駆り立てていったのが、靖国神社である。

■イントロ

  • 収録日時 2016年12月15日(木) 14:30~
  • 配信日時 2017年1月12日(木) 18:00~
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

「宗教」ではなく「国家の祭祀」として侵略戦争を肯定した「国家神道」

 東京・九段にある靖国神社。ここには、幕末から太平洋戦争に至るまでの戦没者約246万柱が「英霊」として祀られている。ただし祀られているのは、あくまで大日本帝国の「国策」に殉じた人々で、たとえば明治新政府に反旗を翻した西郷隆盛や江藤新平などは祀られていない。

▲靖国神社(写真:Wikipedia)

▲靖国神社(写真:Wikipedia)

 靖国神社の前身である東京招魂社が創建されたのが、1869年。山口県下関市にあった櫻山招魂場を模倣するかたちで、長州藩の軍事的なリーダーだった大村益次郎の命で作られた。

 井上氏によると、日本国民に対して靖国神社の持つ影響力が増大したのは、1894年の日清戦争と1904年の日露戦争がきっかけであったという。

 「日清・日露という本格的な対外戦争を通じ、日本ではかつて経験したことのない多数の戦死者が発生しました。そのことから、戦死者を『英霊』として祀る靖国神社は国民的な基盤を持つ神社となり、やがては植民地獲得のための帝国主義戦争を美化して、国民を侵略戦争に駆り立てる機関となっていったのです」

 しかし、こうした戦争で戦死したのは、靖国神社に「英霊」として祀られているような日本の軍人だけでは、もちろんない。特に日清戦争で最大の犠牲を出したのは、日本軍でも清軍でもなく、戦場となった朝鮮の人々だった。

▲日清戦争下で行われた日本軍による朝鮮半島での虐殺について明らかにした、中塚明・井上勝生・朴孟洙著『東学農民戦争と日本』(高文献)

▲日清戦争下で行われた日本軍による朝鮮半島での虐殺について明らかにした、中塚明・井上勝生・朴孟洙著『東学農民戦争と日本』(高文献)

民俗学者・柳田國男が温存した「神道は日本民族に固有の宗教である」というドグマ

 多くの国民を戦場に駆り立てて死に追いやった「国家神道」は、戦後、GHQによる「神道指令」によって解体された。そのはず、である。しかし多くの日本人は、今でも神道こそは、昔から今も変わらない「日本民族に固有の宗教」であると考えがちである。安倍政権における「国家神道」の復活も、こうした日本人の心情を巧みに利用したものであると考えられる。

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「天皇制ファシズムと「国家神道」、そして柳田國男が温存した「神道」のドグマとは? 岩上安身によるインタビュー 第707回 ゲスト 島根大学名誉教授・井上寛司氏(近代・現代編)」への1件のフィードバック

  1. 長田 浩 より:

    国家神道について井上寛司氏の古代・中世・近世・近代と3日シリーズ全て拝見させて頂きました。これ程詳細に古代~近代に亘って神道の研究をなされている先生はいらっしゃらないと思います。もう数十年前になりますが当時私が佛教大学大学院文学研究科修士課程在学中に浄土教を中心に日本中世思想史を研究しておりましたので、時代変遷に亘って神道との兼ね合いをどう捉えるか常に悩んでいたことが思い出されました。この吉田神社ですが東大路一条通り東一条交差点から東のどんつきに位置しますが、その北に京都大学正門、南に旧三高である京都大学教養学部があります。
    このIWJにお出になられた高山佳奈子先生が在籍なされている京都大学法科大学院はこの京大正門から南に直進して出口手前の百万遍交差点近くにあります。頻繁に地元の京都新聞で共謀罪の危険性についてのコラムを写真入りで語っておられますので、私も含め京都市内の大半の方が京都新聞を取っておりますので地元ではほとんどの方は知っておられるのではないでしょうか。
    ところで、吉田神社のことが紹介されておられましたが、私の自宅は京都大学から南に徒歩5分程度の処に在住しており、故祖父が大阪市都島区からB29の爆撃で大阪が火の海になる1カ月前に疎開の為に今の地に移り住んで今に至っておりますが、祖父が存命中に吉田神道墓地で墓地と墓石を購入して縁で、吉田神社の氏子となり、また大元講社の会員となっております。この大元講社は代々鈴鹿家が維持管理されておられます。吉田神社はこの鈴鹿家と大変深い繋がりを有しており、この吉田学区で一番大きい地場の地主でもあります。この鈴鹿家は八つ橋で有名な「聖護院八つ橋」の経営者でもあります。この聖護院八つ橋旧総本店のすぐ近くに修験道の本家本元の聖護院御殿荘があり路地を挟んで西側には任天堂会長の故山内博(存命中、70億円を京大病院に寄付し大病棟を2棟建設されました)の邸宅と大映時代に勝新太郎がよく足を運んだ「河道屋養老鍋」があります。
    因みに私が住んでいる家の南隣にはノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎が住んでおられました。

    話は変わりますが、既に定年退官された吉田神社の前宮司に清水さんという方と禰宜の松本さんという方とは大変親しくさせて頂いておりましたので、機会があれば近くこの吉田神社と吉田神道について詳しくお尋ねしようと個人的に思っております。この吉田神社については鈴鹿家との関係についての論文と書籍があるようですのでこちらを読んでからお尋ねしようと思っております。今現在私は単なる会社員で休日も不定期ですのでロングスパンで考えております。

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