【岩上安身のツイ録】近代ジャーナリズムの起源~「味のある」ジャーナリズムの回復を

記事公開日:2011.1.10 テキスト
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(岩上安身)

※2011年1月10日の岩上安身による連投ツイートを再掲します。

 近代ジャーナリズムの歴史をざっと振り返ってみる。狭義のジャーナリズムに限定せず、情報伝達手段の飛躍的革新のエポックメーキングをあげるとなると、やはりグーテンベルクによる活版印刷技術の発明をあげないわけにはいかない。

 活版印刷技術は、火薬、羅針盤と並んでルネッサンス期の三大発明の一つ。活版印刷技術によって、大量の情報が伝達可能になり、出版印刷事業の成立だけでなく、宗教革命、近代科学革命の基礎ともなった、というのは、ご存知の通り。

 実は、世界で最も古い印刷技術は、中国の木版印刷技術。現存する最古の印刷物は、法隆寺に保存されている「百万塔陀羅尼」。770年のものとされる。世界最初の活字は、中国で11世紀に発明された陶器の活字。

 実は、グーテンベルグの発明に先立ち、宣教師らによって、中国の木版印刷技術が14世紀のヨーロッパにもたらされていたといわれている。金属の活字も、14世紀には先行して高麗で作られていたとも。グーテンベルグの革新に意味があるとすれば、商業活版印刷事業を開始したことではないか。

 グーテンベルグは、聖書をはじめ、さまざまな書物を印刷し、販売した。彼は今日まで続く出版社の原型を作った。マスコミ事業は出版、新聞、放送と業種があるが、成立年代順でいえば、出版→新聞→放送(ラジオ→テレビ)となる(手書きの新聞、書物は、もっと歴史をさかのぼるけれども)。

 グーテンベルグ聖書が世界最初のベストセラー書籍になったあと、15世紀には、ヨーロッパ各地で、さまざまな出来事を伝える印刷されたパンフレットが出回るようになる。現代の印刷された雑誌・新聞の萌芽。

 世界最初の印刷された定期刊行物は、ドイツ(ストラスブール)のRelation。1605年とも、07年、09年とも。興味深いのは、ほぼ同時期の1615年、日本でも大坂夏の陣を報じる「辻売り絵草子」「読売り」という瓦版が現れたこと。瓦版とは主に粘土板で印刷された新聞の原型。

 17世紀、欧州では植民地との交易の活発化や、輸送の発達とともに、情報伝達の必要性が高まる。1660年、ドイツのライプツィヒで、世界最古の日刊新聞・Leipziger Zeitung(ライプツィガー・ツァイトゥング)が刊行。、日本では1673年に瓦版の出版に対する規制が。

 17世紀、近代ジャーナリズムが勃興するきっかけになったのは、1641年から始まる英国のピューリタン革命。さらに1688年の名誉革命を経て、議会において政党が争い、その議論を伝え、論評するジャーナリズムが急成長する。1694年には英国内で新聞のライセンス制度と検閲制度が廃止。

 18世紀は英国で新聞が大きく発展。パリのカフェ文化と同様、コーヒーハウスで数々の新聞・雑誌・パンフレットなどが自由に読まれ、政治についての市民による活発な議論が行われた。現存する最古の日刊紙タイムズは、1785年創刊。

 コーヒーハウスやカフェに人々が集い、新聞・雑誌を読みつつ、自由に議論を交わしてきたことに、注意を払う必要あり。情報のマス流通が始まっても、双方向性、リアルでの応答、交流は、重要な要素だった。報道・言論に対する規制への抵抗も欠かせない。

 英国議会の報道が初めから自由だったわけではない。1731年、議会報道の禁止に抵抗する雑誌「ジェントルマンズ・マガジン」が発刊。1762年に、同じく議会報道禁止に抵抗する新聞「ノース・ブリトン」発行。そして1771年、ついに議会報道が自由化される。

 新聞が商業的な定期刊行物として定着してゆくことで、専業記者=ジャーナリストが職業として成立してゆく。しかし本来の寄稿者のありかたからすれば、新聞社専属の専業記者はずっと後代に成立した形式で、本来は他に職業を持ち、自立している市民が、寄港する媒体だった。

 専門分化した職業人からなる社会が近代社会の特徴。新聞記者のような専業ジャーナリストは、まさに近代(モダン)という時代の歴史的な産物。こうした画然と分けられた職業区分や分業は、ポストモダン時代にあっては再び境界が融解する。

 近代に誕生した専門職は今後も存続するだろう。と同時に、交雑、ハイブリッド、クロスオーバー、領域横断的なあり方が、あらゆる分野で模索されてきたように、ジャーナリズムの世界でも多様な形態が模索されうるはずである。この点がもっとも遅れた分野がジャーナリズムだった、ともいえる。

 専業の職業記者が存続する一方で、多様なキャリアをもつ、兼業の記者が登場する可能性があっていいはずだ。兼業記者という言葉がまるで兼業農家のようで、どうも意気があがらないというなら、ハイブリッド・ジャーナリズムとでも称すればいい。

 塩の精製も、混じりけなしの塩化ナトリウムにひたすら近づけることが「純化」であり、正しい道と信じられた時もあった。しかし、さまざまなミネラルの入り混じった、近代以前の精製の方法が、栄養の観点からも味の観点からも見直されているのは、ご存じの通り。味のあるジャーナリズムの回復を。

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