安全性の責任を負うのは、規制庁ではなく政府である 〜福島第一原発事故の危険性を指摘する声を無視した安倍総理の「前科」 <IWJの視点:佐々木隼也の斥候の眼> 2013.6.19

記事公開日:2013.6.23 テキスト
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(佐々木隼也)

 2013年6月19日、原子力規制委員会は原発の廃炉と再稼働を選別する、「新規制基準」を正式に決定した。安倍総理は、日本時間19日午前に北アイルランドで行われた記者会見で、再稼働について「安全性については、規制委員会の専門的な判断に委ねる。規制委が新基準に適合すると認めた場合、その判断を尊重し、再稼働を進めていく」と語った。

 違和感を感じるのは、安倍総理の「安全性の判断を規制委に『委ねる』」という言葉だ。「委ねる」とは、まるで安全性の判断について「規制委にもその責任がある」と錯覚してしまいかねない。想像を絶するリスクを伴う、原発再稼働の「責任の所在」を曖昧にしようとしているのではないか? という疑念が浮かぶ。

 当然だが再稼働の判断は政府、内閣総理大臣の責任であり、もし万が一事故が起きてしまった場合、その責任は事業者と、再稼働の判断をした政府、内閣総理大臣が負う。

 6月12日に行われた院内交渉で、規制庁の担当者は「我々は発電所の安全性に関する証明責任を負っていない」と発言した。この発言に対し、「ではどこが安全性の責任を負うのか」と怒りの声もあるだろう。

 しかし、ある意味でこの規制庁担当者の発言は正しい。規制委員会は、あくまで「原発が規制基準を満たしているかの厳格な審査を行う」ために発足された機関であり、その安全性を証明する責任までは負っていない。責任の主体はあくまで政府だ。

 規制委が「稼働継続可」という審査結果を下したとしても、それでも政府が「安全性に不安がある」と考えれば、規制委の評価を覆して「稼働不可」の判断を下すこともありうる。それが本来の政府の責任というものだ。

 規制委の基準が甘く、重要な設備の設置に5年の猶予を与えていたり、原発の寿命40年に例外的に20年延長を盛り込んでいるなど、その基準の「甘さ」に批判の声があがっている現状では、政府の責任はなおさら重い。ましてや大飯原発などは、その基準すら満たしていないにも関わらず、「稼働継続は可能」との方針が出ているのだ。

 しかし、安倍総理の「委ねる」という言葉からは、「安全性の判断は全て規制委に任せる」という意味を含んでいるように思えてならない。政府の責任は、どこへいったのか。「規制委が判断したから安全」はおかしなロジックだ。

 自民党は6月20日、参院選の公約を決定した。原発政策では「安全性が確認された原発の再稼働」を明記し、原案の「国が責任を持って再稼働を行う」との表現を「地元自治体の理解が得られるよう最大限努力する」に修正した。

 毎日新聞ではこの修正について、「地元尊重の姿勢を強調した」などと報じているが、「国が責任を持って」という文言をわざわざ削除したのはなぜなのか、追及はみられない。前述した安倍総理の発言とあわせて考えると、いろいろと勘繰りたくなる。

 こうした疑念を抱く理由は、そもそも「福島第一原発事故の責任の所在の曖昧さ」にある。

 無限責任を負うはずの東京電力には、総額5兆円にものぼる我々の税金が投入され、延命措置がとられている。数十兆円にも膨れ上がると言われている、今後の除染や廃炉費用などを経産省は、我々国民の電気料金に上乗せできるよう、会計ルールを見直す方針だ。

 その一方で、東電内で原子力を推進してきた勝俣恒久元会長は日本原子力発電株式会社取締役となり、清水正孝社長も東電の関連会社であり富士石油の社外取締役となり、その他の役員も次々と関連会社に再就職し、事故の刑事責任が追及されることもない。

 そもそも地震や津波などによるメルトダウンの危険性を無視し、対策を講じようとしなかったのは、第一次安倍内閣である。2006年12月13日、日本共産党の吉井英勝衆院議員が、津波や地震によって原発の炉心冷却機能が失われ、メルトダウンをもたらす危険性を警告する質問主意書を提出した。

 これに対し12月22日付けの安倍内閣の答弁書は、「地震、津波等の自然災害への対策を含めて原子炉の安全性については、経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているものであり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」とし、メルトダウンをもたらす燃料損傷の可能性についても、その評価すら行わないと答えている。

 安倍総理は、「安全を確認している」という言葉を軽々に用いて、事故を招き、その責任をとってこなかった前科があるのだ。この決定を下した当時の政府担当者、第一次安倍内閣の閣僚、安倍総理を含め、誰もその責任を追及されてはいない。

 政府が「責任の所在」が曖昧なまま判断を下し、万が一事故が起きても責任は追及されず、そのツケを払うのは我々国民――。これでは、国の原子力行政は、いつまでたっても国民の信頼を得ることはないだろう。安倍総理は安全性を誰かに「委ねる」のではなく、自身の過去の責任を重く受け止め、責任を持った判断を下していただきたい。

■吉井議員の福島第一原発の事故リスクに関する国会質問ダイジェスト(共産党HPより)
https://www.youtube.com/watch?v=HBwTZwXdSU4

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