「福島原発誘致で補償金をもらった漁師に、今の気持ちを尋ねたい」 〜大間原発に反対する会 奥本征雄氏 2014.6.30

記事公開日:2014.6.30取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「原発の温排水で海がダメになるのはわかっていた。結局、金に負けた。原発城下町とは、こういうことだ」──。

 2012年12月の「脱原発世界会議2」をきっかけに発足したチームゼロネットは、原発ゼロの未来を目指して連携する有志のチームで、新規建設計画を抱える上関と大間、そして、3.11以降、唯一再稼働した大飯原発(現在は定期検査のため運転停止中)に特化して活動を行っている。

 2014年6月、チームゼロネットのメンバーは、7月1日に東京都の早稲田奉仕園リバティホールで開催するトークイベント「原発は止められる!若狭、大間、祝島からのメッセージに、わたしたちはどう応えるか?」の準備のため、青森県下北郡大間町を訪問。大間原発に反対する会の奥本征雄氏に話を聞いた。IWJ青森は、同行取材を行った。

 取材陣を大間原発の建設予定地を一望できる場所に案内した奥本氏は、昔の大間町の思い出を交えながら、原発計画が浮上して以来、様変わりしてしまった町の現状などを語って聞かせた。

■全編動画

  • 奥本征雄氏が語る、大間原発や大間町について
  • 配信 2014年6月30日(月) 18:00~
  • 場所 大間町西吹付山展望台、奥戸向町避難公園など(青森県下北郡大間町)

津軽海峡は国際海峡。テロ目的で侵入しやすい

 大間町が面している津軽海峡は、国際海峡(他には宗谷、大隅、朝鮮、対馬海峡)なので、どこの国の船でも自由に航行できる。テロ目的の侵入も簡単だという。また、奥本氏は丘陵地帯を指差して、「大間から青森にかけて活断層があるので、地震で土地が隆起している。われわれが見てもわかる。渡辺満久東洋大学教授も、活断層の可能性を指摘している」と、地震と津波のリスクにも触れた。

 その後、大間原発の建設現場を一望できる場所に立ち、あさこハウスや函館の街、沖合800メートルの海中にある、原発の送排水口の位置などを教えた。近くには、原発のために立ち退きを受けた住民が移り住む、真新しい住宅が立ち並んでいた。

 大間原発の建設に反対し、建設予定地の地権者としてただひとり、土地を売らずに守ってきたのが、熊谷あさ子さん(2006年死去)だ。あさ子さんの遺志を継いだ娘の小笠原厚子さんが、その土地に建てたログハウスは「あさこハウス」と呼ばれ、大間原発反対運動の象徴的な場所となっている。

原発誘致で大間漁協に144億円

 「大間原発の建設工事は、原子力規制委員会の検査の対象外の部分は、去年の秋から再開したが、建屋工事などは今も中止している」と奥本氏は話す。また、「海岸線一帯は良質の昆布の繁茂地だったが、今は環境が変わり、全滅した」とも話し、カメラは護岸に固められた海岸線を映し出した。

 大間町は、400世帯ほどの奥戸(おこっぺ)、大間、材木の3つの集落からなる。「昆布は、奥戸で年間3~5億円、大間でも5億円分の収穫があった」と奥本氏が言うと、メンバーたちは「昆布だけで?」と驚きの声を上げた。

 奥本氏は「それが、今では全然獲れない。原発誘致で大間漁協には144億円、奥戸漁協には90億円の漁業補償金が支払われた。当時としては破格の価格だったが、今、思えば、高かったのか、安かったのか。漁師たちは、原発の温排水で海がダメになるのはわかっていた。結局、金に負けた。原発城下町に生きるとは、こういうことだ」と、海を眺めながら話した。

1人1000万円で豊かな海を失った

 「当時、大間漁協の組合員は1200人。日本一の規模の漁協だった。補償金は組合員1人につき1000万円だ。逆に言うと、大間町は原発が来る前までは、1200人が漁で生活できるほどの豊かな海だったのだ」。

 この話を聞いた取材メンバーたちは、「よく、貧しいから原発を誘致すると言われるが、ウソではないか。しかも、(豊かな海と引き換えにするには)格安の補償金だ」と憤慨し、奥本氏は「最初は1人3000万円と言っていたのを、うまく丸め込まれた」と言い足した。

 奥本氏は、福島原発の漁業補償について、「福島は全部で原発10基だから、漁師1人に1億2000万円。その奥さんにも、さらに6000万円が支払われた。家族で2億円弱。札束で横っ面をひっぱたくとは、そういうことだ」と悲しい表情を見せた。

 メンバーの1人は、「昔、原子力船むつの寄港の際、関根浜は、漁協の準組合員には50万円、正組合員には300万円を渡した。今なら億の単位だろう」と付け加えた。

自然も文化も人の心も壊すのが、原発だ

 奥本氏は、今は防波堤になっている海岸線を指差し、「原発工事前までは、白砂海岸というくらい真っ白な砂浜だった。祭りの時には、その砂を山車の通り道に撒く。神様が通る道を白砂で清めたのだ。今は、砂はなくなったし、道はアスファルトになったから、代わりに塩を撒いている」と話した。

 「昔は、函館との間にフェリーが1日10便、通っていた。夜になるとリュックにアワビを詰め込んで、函館の夜の街に繰り出した。支払いはアワビで、飲み放題だった」と、古き良き日々を懐かしんだ。

 さらに、奥本氏は「青森は8月に祭りが集中している。大間町も8月だ。でも原発が、文化を壊してしまった。住民は、原発に賛成か反対かで分断された。企業が祭りの音頭をとって、村民全員の祭りではなくなった。放射能も怖いけれど、それ以前に、自然も文化も、住民の心も壊すのが、原発だ。最後には何もなくなる」と訥々と語った。

 「日本人って何なのか。結局、自分が直接叩かれないと、痛さがわからない民族なのかと思う。大間町でも、無記名投票をしたら7~8割は原発に反対だろう。しかし、記名投票だと変わってしまう。親族、友人の誰かが原発に関わっているからだ」。

福島の漁師は黙して語らず

 奥本氏は「彼ら(電源開発)は本当に賢い。住民の説得を仕事と割り切って、へこたれない。最初は、訪問しても水や塩をかけられる。しかし、雨でも雪でも毎日通う。そのうち、部屋に上げてもらい、お茶が出るようになる。それまで1年かける。そうやって、みんな倒されてきたんだ」と、電力会社が粘り強く住民を切り崩していく様子を話した。

 そして、「私は、福島の原発誘致で補償金2億円もらった漁師さんたちに、あの事故を受けて、今、どういう気持ちなのか聞いてみたい。批判するつもりはない。当事者として、どう感じたのか。そういう人の話を聞きたいんだ。だけど、誰ひとり、語ってくれる人はいないんだよ」と、ため息をついた。

 「結局、政治が悪いんだが、地方切り捨ての時代になって、仕事がないのが一番の問題だ。『原発に反対だ』と話すと、『では、俺の明日の飯代を払ってくれるんだな』と言い返される。でも、こういう会話ができる相手は、まだ、いい方だ」と話して、この日の取材は終了した。

 最後は、大間原発訴訟原告団のメンバーが、大MAGROCK、大間原発反対集会のチラシ配りのために、フェリーで函館から大間港に到着し、奥本氏や手伝いに駆けつけた有志らが出迎えるシーンで終わった。

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「「福島原発誘致で補償金をもらった漁師に、今の気持ちを尋ねたい」 〜大間原発に反対する会 奥本征雄氏」への1件のフィードバック

  1. uedayukimura より:

    大間のあさこハウスさんへ2011年12月から毎日欠かさずハガキを出し続けています。長野県在住なので、官邸前に抗議に行くことも出来ず、私に出来ることはこれくらい。一日も早く大間原発の建設中止を願ってます。
    シーズーさんの「夕日が西の海に落ちるとき、ジュッと音を立てる」には笑いました。

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