「潮目は変わった。もっとやれることがある」 〜「川内原発再稼働を許すな!」川内原発反対運動のこれまで、そして今 2014.5.24

記事公開日:2014.5.24取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 「川内原発が再稼働の一番手と名指しされたことで、市民の意識が大きく変わりつつある。世論調査では再稼働反対が59パーセント、賛成が36パーセント。昨年に較べて、反対が増えている。鹿児島の人たちの民度は、かなり高いのではないか」──。

 2014年5月24日(土)、東京の文京区民センターで開かれたシンポジウム「川内原発再稼働を許すな!―現地から訴える」では、現地で30年以上にわたり抗議運動を続けてきた荒武重信氏(川内原発建設反対連絡協議会)と、3.11以降に反原発運動に関わり、再稼働阻止全国ネットワーク「川内の家」を開設した岩下雅裕氏がマイクに向かった。

 鹿児島県薩摩川内市の川内原発(九州電力)は、原子力規制委員会が優先的に審査を実施しており、国内の全原発が停止している中、「再稼働第1号になるのではないか」との見方が強まっている。荒武氏は、原発の雇用吸収力や、市議会が再稼働容認派によってほぼ固められている状況などを指摘。反原発運動の難しさを重ねて強調した。これに対し、2ヵ月前に川内に来るようになった岩下氏は「潮目の変化」を訴えつつ、「やり方次第で情勢を変えることができる」と主張。反対運動を進める市民らを鼓舞した。

記事目次

■ハイライト

  • 発言 荒武重信氏(川内原発建設反対連絡協議会)/岩下雅裕氏(再稼働阻止全国ネットワーク「川内の家」)
  • 質疑応答

 「国が、原発再稼働の第1号を川内原発にする方針で動いていることは周知の事実。今日は、まず荒武さんに現地からの報告をお願いしたい」。主催者代表の紹介を受けマイクに向かった荒武氏は、「川内原発の1号機と2号機が完成したのが、それぞれ1984年と1985年のこと。私たちが同原発の建設反対連絡協議会を立ち上げたのは、それから遡ること約10年前だ。現時点で、川内で反原発運動を繰り広げている有志の中では、私が最年長」と自己紹介した。

 「1984年当時は、まだ労働組合が元気だったこともあり、船で運ばれてきた核燃料棒の受け入れに反対する集会を深夜に実行しても、かなりの人数の同志が集まった。ただ、私たちは物理的な抵抗をしなかったため、トラックに積み換えられた燃料棒は、原発1号機へと運ばれていったが……」。

「若い力」に欠ける反原発運動

 荒武氏は「1号機にもっとも近い、距離にして1キロメートルほどしか離れていない集落からは、反対者が極めて少数しか集まらなかった。川内漁協からの参加者も同様に少なかった。彼らも最初は反対していたのだが、九州電力による説得が響いたものとみられる。結果、集会の主たる参加者は、地元以外からやって来た市民だった」と振り返り、続いて象徴的な「反対運動つぶし」のエピソードをいくつか披露した。

 「当時の反原発集会に参加した社会党のある市議会議員は、九電から『あなたが議会で原発反対の運動を行わなければ、生涯困らないだけの資金援助をする』と持ちかけられた、と私に明かしてくれた。また、九電の下請け的な中小企業に勤めていた若い男性は、彼の母親が家に『原発反対』ののぼりを立てていたことが知られて、上司から『明日から会社に来るな』と言われたという」。

 九電がらみの仕事に従事している地元市民は「反原発」に動きたくても動けない事情があった、と強調した荒武氏は、近年の川内市に目立つ、若い世代が就職先を求めて市外流出することについて、「今の地元の反原発運動には『若いパワー』が圧倒的に不足している」と懸念を示した。

川内原発の活断層に一切触れない九州電力

 荒武氏は、岩切秀雄川内市長や市議会議員らが、原発再稼働を容認している点に触れた。「フクシマショックを受け、反原発を唱える市議会の議員の数が、それまでの2人から5〜6人に増えた(議員の総数は20人余り)。もっとも多数派である再稼働容認の議員は、原発に関する勉強をしていない。だから、意見が言えないという面が大きい。岩切市長については、口にこそ出さないが、交付金がほしいがために(2008年に市長に選ばれて以来)反原発の姿勢を打ち出さずにきたのだと思う。私たちは何度も、市長に直接会って要望書を手渡してきたが、彼は、一度たりとも自分の考えを示したことはない」。

 岩切市長は、面会するたびに「国、県、議会の意見を聞いて判断させてほしい」と発言した、と荒武氏。「市民の声には耳を傾けずに、『市民から選ばれた議会の声を聞けばいい』というのが、彼のスタンスだ」と語った。さらに、議会の決定を受け取る鹿児島県の伊藤祐一郎県知事についても、「どちらかといえば原発推進派。われわれの目には、彼もまた交付金が目当てと映る」と述べた。

 その上で「川内市の反原発市民を取り巻く環境には、厳しいものがある」と口調を強めた荒武氏は、次のように話した。「1、2号機を作る際、九電はわれわれに対し、『川内原発の原子炉下部には、絶対に活断層はない』と断言した。しかし今、彼らはそのことを一切、口にしない。活断層があることがわかったからだ」。

 新潟大学の立石雅昭名誉教授(地質学)は今年2月、鹿児島市内で記者会見を開き、「川内原発の近くに活断層と思われる断層を発見した」と発表している。調査結果は同日、九電に提出され、詳しい調査が求められている。

再稼働を望んでいる一般市民はいない

(…会員ページにつづく)

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