現代社会が失ったもの ~新潟水俣病患者の暮らしを見つめた映画『阿賀に生きる』とアイヌ文化の共通項 2014.5.4

記事公開日:2014.5.4取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・阿部玲/奥松)

 「太平洋戦争を経験したのに、戦争を忘れ、3.11で原発事故を経験したのに、それも忘れて、また再稼働。いったい、われわれは何をやってるのか」──。

 2014年5月4日、新潟県阿賀野市の阿賀野市安田公民館で、「映画『阿賀に生きる』22周年 阿賀の岸辺にて 2014年追悼集会」が開かれた。1992年に作られた映画『阿賀に生きる』は、新潟水俣病患者として苦しみながらも、川に寄り添ってたくましく生きる3組の夫妻の姿を描いたもの。監督や撮影スタッフが、この地域に住み込んで、3年にわたってカメラを回した記録映画だ。

 映画上映後、古布絵作家でアイヌ文化継承者、アイヌ解放運動家の宇梶静江氏と、宇梶氏の長女でアイヌ刺繍伝承者の良子氏が、『アイヌ文化の宝もん話し』と題した講演を行った。原発や戦争への懸念が高まる現在、映画で描かれた自然と共生した暮らしや、アイヌの伝承文化の中に、これからの生き方のヒントを探った。

■全編動画(20:59~ 2時間17分)

「清い川」に危険な工場排水

 1965年、新潟県の阿賀野川一帯では、昭和電工のメチル水銀を含んだ排水によって、住民に重篤な健康被害が生じた。その症状は、熊本県の水俣病に類似していたことから、「第二水俣病」あるいは「新潟水俣病」とも呼ばれた。阿賀野川流域に住む人々は、半農半漁で暮らす人が多く,川で獲った鮭などを自分たちの食卓で焼いて、家族で団欒をするという文化があった。そのため、流域に暮らす人々の間に健康被害が広がった。なお、「阿賀野」はアイヌ語で「清い川」を意味していたともいわれる。

 主催者の『阿賀に生きる』ファン倶楽部事務局の旗野秀人氏は、長年、新潟水俣病患者への支援活動を行っており、この映画の制作から完成後の上映会などにも尽力してきた。書店でのイベントを通じて宇梶静江氏と出会ったという旗野氏は、「宇梶さんのアイヌ文化の話を聞けば聞くほど、この映画で描かれていた生活とオーバーラップした」と言い、それがきっかけとなり、今回の講演を企画したという。

 北海道生まれの宇梶静江氏は、アイヌ文化の継承者。俳優の宇梶剛士氏は長男にあたる。映画の感想を聞かれた静江氏は、「深く感動し、映画のすごさに嫉妬した。差別は、みんなをバラバラにする」と話した。

文化継承は「面白がる」ことから

 この映画について、静江氏の長女である宇梶良子氏は、「地域の文化は継承しても、心の継承はしたことがなかった。アイヌ文化継承の活動は、まだまだ不毛の地に種を撒いている状態。地域の人たちが、こうやって地域のことを記録として残す。それができる環境があるというのは、大きな財産だと思う」と述べた。

 映画を作ったきっかけについて、旗野氏は「今日の来場者は、新潟水俣病の患者さんたちが多いが、ほとんどの人が正式には認定されていない。けれど、病気であろうとなかろうと、自分は彼らの暮らしぶりが愛おしいと感じた。この暮らしを紹介したいと思った」と語る。

 さらに、「良子さんのアイヌの刺繍教室を見て、とても良いと思った。それは、参加者たちが、自分たちは経験がないことにもかかわらず、アイヌ刺繍を非常に面白がってやっていたからだ」と述べた。「私は新潟水俣病認定の裁判など、数多くやってきたが、周囲の仲間でさえ、それを知らなかった者もいる。伝えていく上で大事なことは、みんなが『面白いな』と思うような活動だと思う」と続けた。

 良子氏は「『見て覚える、付いて歩く』が、私流のアイヌ文化の継承方法。ぬか床を作ることと同じようなもので、他と比べたりしてはいけない」と補足した。

原発再稼働、戦争の危機。なぜ、同じ過ちを繰り返す

 一方、現在の日本の社会状況について、旗野氏は「太平洋戦争を経験したのに戦争を忘れ、3.11で原発事故を経験したのに、それも忘れて、また再稼働。いったい、われわれは何をやってるのか。選挙になれば、また、同じことを繰り返す党に票を入れてしまう。いったい何なのだろう?」と問題提起をした。

 静江氏は「映画の中に、釣った魚をみんなで焼いて食べるシーンがあったでしょう。あれが本当の生活。現代の生活は、それをやっていない。アイヌの生活には火が欠かせず、アイヌは火に祈る。水の神様、大地の神様にも祈る。しかし、その習慣は奪われてしまい、伝統文化を謳歌できない。生魚の食べ方など、子どもたちに見せてあげたいが、今は川に農薬が流され、それもできない。『他の命を頂いている』こと。『必ず土に返す』こと。今は、それが実感できない社会だ」と話し、現代人の生活様式に警鐘を鳴らした。

 さらに、「福島の問題も、水俣病の問題も、皆がひとつにならないと、大きな力にならない。宇宙に飛んでいく航空機や人工衛星の部品だって、下町の工場が作っている。下町の強さを集めていくべき。都会の青年たちが、農業に参入するのは賛成だ」と続けた。

 また、最近の教育について、静江氏はこのように語った。「若い人たちは、鮭一匹を見たことがなく、売っている切り身が鮭だと思っている。首から上、つまり、頭だけの考えの人たちが、おかしな判断をし、それを押しつけて道徳教育などと言っている。『あなたたちは、道徳教育の本質を知っているのか』と言いたい」。

地域で「暖かいお金」を使おう

 旗野氏は「この映画では、家の中に神様がいっぱいいる。薪を燃やすのでガスはいらない。水も瓶に貯めている。夜になれば、『今日は、あれが美味かった』などと言いながら、仲間と酒を飲む。かっこいい歳の取り方だと思った。われわれは同じことはできないにせよ、忘れないようにしたい。こういう暮らしに近づくことが、大事な気がする」と述べた。

 「今は、学ぶというやり方を、何か履き違えているのではないか」と疑問を呈した旗野氏に対し、良子氏は「若い人たちのトークの場がもっとあった方がよいのではないか。若い人から教えてもらうことも大事だ」と述べ、ディスカッションの場を増やすことを提案した。

 新潟大学名誉教授の大熊孝氏は、「安いものを買うという行為が、本当にいいものなのか。多少高くとも、地域につながりのある、お金の使い方をするべきではないか」と述べて、「暖かいお金」という言葉を提唱した。

 旗野氏は「水俣病の訴訟を見ていると、『患者さんのため』と言いながら、『症状がわかりやすい人には賠償1億円』『わかりにくい人は260万円で和解』などということが、非常に多い。交通事故の保険金などでも、そういうことが見受けられるが、先ほどの映画とは真逆の世界。あの映画のような生活はもうできないけれど、私たちなりのやり方をしていけば、新しいアメニティ・スタイルが生まれるのではないか」と訴えた。

 講演の最後に、静江氏は「天の神様から、ゆりかごを降ろしてもらう。お父さんとお母さんは仕事があるから、赤ちゃん、そのゆりかごでねんねしていてね」というアイヌの歌を紹介し、自らの歌声を披露した。

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「現代社会が失ったもの ~新潟水俣病患者の暮らしを見つめた映画『阿賀に生きる』とアイヌ文化の共通項」への1件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見より) より:

    原発再稼働、戦争の危機。選挙は、また、同じことを繰り返す党に票を入れてしまう。なぜ、同じ過ちを繰り返す?

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