原発メーカー訴訟と韓国人被爆者2世 金亨律氏をつなぐ反核の意志 〜翻訳家 青柳純一氏 2014.4.23

記事公開日:2014.4.23取材地: 動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 「韓国社会では『広島と長崎の原爆投下のおかげで終戦となり、自分たちは日本から解放された』との考え方が支配的で、韓国人被爆者の存在は無視されていた。そんな中で被爆2世が、核の恐怖、次世代への影響を訴えた」──。

 2014年4月23日、大阪市天王寺区にある大阪南YMCAで、「在韓被ばく者の現状&原発メーカー訴訟原告交流会」が開かれ、『被ばく者差別をこえて生きる ― 韓国原爆被害者2世 金亨律とともに』(三一書房)の著者で、翻訳家の青柳純一氏が講演を行った。青柳氏は、自身が原告として参加している原発メーカー訴訟と、2005年に34歳で亡くなった韓国原爆被害者2世の金亨律(キム・ヒョンニュル)氏について語った。

■全編動画(18:28~ 1時間34分)

  • 講師 青柳純一氏(翻訳家)

 「私の中で、原発メーカー訴訟と、すでに故人の金さんがどのように結びついているのか、という話をしたい」とした青柳氏は、「私は仙台に暮らしていて、3.11に対しては、福島の人たちほどの被害者意識を持つことができなかった。この傾向は、福島第一原発から離れれば離れるほど鮮明になるが、逆転させねばならない」と力を込め、原発メーカー訴訟には、日本、韓国、台湾の市民が軸になって「地球市民としての連帯」を実現させる意義があるとも語った。

 また、反核運動家の金亨律氏が、韓国社会では長らく「存在しないもの」と位置づけられてきた広島と長崎の韓国人被爆者の子ども=「被爆2世」の人権問題を表舞台に出した功績を称賛。「金さんが、原爆被害者2世の立場から、原爆や原発の恐怖を広く韓国社会に知らせた意義は大きい」と話した。

 「福島原発事故から3年余りが経過したが、メルトダウンの実態は、今なお明らかでないばかりか、汚染水問題という新たな不安材料も浮上した」。マイクを握った青柳氏は、冒頭で、3.11のフクシマショックが日本社会にもたらした負のインパクトはまったく消えていない、との見方を、市民の立場で表明。「被災地を中心に、今の日本には、いつ何が起こってもおかしくないと認識している」と表情を引き締めた。

 「新聞に発表される仙台市内の放射線量は、3.11の1ヵ月ぐらい後からずっと、毎時0.05マイクロシーベルト程度だが、私の自宅内でも場所によっては、毎時0.1~0.20といった数値を記録することもある。事故現場から、空へ海へと放出されている放射能がどの程度なのか、正確にはわからない」。

 青柳氏は「放射能被害に関する政府発表を、鵜呑みにする人は多くない」としつつも、「だからといって、福島では、政府への批判が強まっているとは言い難いようだ」とも話す。「福島からの避難者によれば、3.11後の福島には、低線量被曝に関する不安を口にすれば、周囲の人から嫌われる雰囲気が広がっているらしい」。

原発メーカー訴訟の意義、語り伝えてほしい

 そして青柳氏は、自身が主催して4月13日に行われた「原発メーカー訴訟の会 in 仙台」に話題を移した。「1970年代の日立就職差別裁判を戦った朴鐘碩(パク・ジョンソク)さんと、原発メーカー訴訟で原告団長を務める島昭宏弁護士の話を聞き、2人はタイプは違うが、ともに自分の初心を持続させる生き方を実践していることがわかった」。青柳氏は集会で、この2人の生き方に強い感銘を受け、自らの意識改革をさせられたと吐露した。

 青柳氏は原発メーカー訴訟の会を、「原発、原爆を含む核廃絶のためには世界市民の連携が必要である、というのが会の信念であり、その前提には『原発と核兵器の技術と原材料は同一であり、核廃絶とは、核兵器と原発の廃絶を意味する』といった共通認識がある」などと説明。「原発メーカーは負うべき製造者責任を免れ、原発の海外輸出に力を注いでいるが、それは『3.11の輸出』につながりかねない」と語気を強めた。

 訴訟の意義については、「きわめて不合理な状況を生み出している原因は、東京電力への責任集中制度にある」とし、「この間違った現実を打ち砕くべく、(日立や東芝といった)原発メーカー訴訟を提起することは『社会の要請』である」と発言。「ここに集まったみなさん一人ひとりが、訴訟の意義の語り部になることが、われわれがこの裁判に勝つために欠かせない要素だ」と力説した。

反核人権活動家・金亨律(キム・ヒョンニュル)氏

 スピーチ後半は、青柳氏の近著の主人公である金亨律氏について。韓国原爆被害者2世である金氏は、1970年に釜山で生まれた。1995年、血液の精密検査で原爆後遺症であることが判明。2002年には、韓国で最初の原爆被害者2世としてカミングアウトしている。

 広島、長崎での被爆者約70万人のうち、朝鮮人、韓国人は約7万人。背景には、広島や長崎の軍需工場への強制徴用がある。青柳氏は「金さんのお母さんが、5歳の時に広島で被爆している」と説明。「金さんはカミングアウト後の3年間で、非常に社会的に意義のある活動をしている」と強調した。具体的には、2003年8月に支援者とともに国家人権委員会に陳情書を提出、2005年4月には市民立法を目指し、原爆被害者および被害者の子どもを支援する「原爆被害者特別法」を韓国国会に請願する、といった内容だ。

 原爆被害者特別法案は2005年8月に上程されるも、その後は宙に浮いた態で、今国会でも審議される見通しとのことだ。

 金氏は2005年5月に肺疾患のため、釜山市内で死去している。青柳氏は「当初、金さんは日本政府に対して要求を行った。しかし、現実の壁の厚さから、韓国政府への要求・請願にシフトし、韓国の国会へという道筋を辿り、力尽きて亡くなった」と述べて、2005年5月、東京での国際集会に参加して帰国する折の金氏を、青柳氏が成田空港で撮った写真をかざして見せた。「亡くなったのは、この5日後のこと。特別法の制定を見届けずに、彼はこの世を去った」。

「先支援、後究明」を訴える

 青柳氏は、金氏の功績で大きかったのは、広く韓国人に対し、原爆の恐怖を訴えたことにある、と強調する。「韓国社会の中で、こうした訴えを行うのは、非常に大変なこと。韓国社会では『米軍が広島と長崎に原爆を投下したおかげで、自分たちは日本から解放された』との考え方が支配的だからだ」。つまり、韓国社会にとって、「韓国人の原爆被害者」は存在してはならないものなのだという。

 さらには、原爆・放射能被害の次世代への遺伝的影響の問題に、世間の関心を呼んだのも出色だった、と青柳氏は評価する。金氏が訴えた「先支援、後究明」とは、因果関係の究明はあとにして、まず、被害者の存在を認めて支援を開始してほしい、というもの。青柳氏は「この問題は、日本でも国の対応が不十分だ。被曝2世は、日本でもカミングアウトできていないのが実態だ」と説明し、日韓両国とも被曝2世の人数を把握していないと指摘した。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です