「宗教対立を避けるため、弘法大師は神仏の融和を試みた」 〜歴史講座 松嶌徹氏 2014.4.19

記事公開日:2014.4.19取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「密教とはオールマイティな宗教。いろんな民族の儀式を取り入れている。日本のルーツがいろいろ取り込まれ、ノウハウが詰まっている宗教だ」──。

 2014年4月19日、大阪府箕面市のカフェ神音比で、歴史講座「空海と倭の神々~弘法大師がひそかに守ったもの~」が開かれた。四国遍路の意味と渡来文化など、弘法大師・空海が仏教によって何を成し遂げたのか、講師の松嶌徹氏が壮大な歴史ロマンを語った。

 「自分の寺は、偶然、ヨガの神様でもある愛染明王を祀っていた。これが自分の仕事(先代から国際ヨガ協会会長)にもつながった。空海も三密ヨガをやっていた」。こう語る松嶌氏は、空海の謎を、独自の見識と研究から解き明かし、興味深い歴史の豆知識も挟んで、聞く者を飽きさせない講演を展開した。

 「空海の先輩にあたる、役行者が開眼した蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体。大阪の今宮戎(えびす)のお囃子『商売繁盛、ササ持ってこい』のササとは、お酒のこと。秦族に対し、酒を持って鎮めに来い、というのが本来の意味だ」「古代の、天つ罪(あまつつみ)の中で、畦放(あなはち)という行為は、棚田の上を崩すと一気に下まで田が壊れるから重罪になった。また、うんこ罪といい、上で不浄なものを流すと下までいっぺん汚れてしまう。それらは、徳島特有の忌部農法の証でもある」など、さまざまな知識を披露しながら、空海像を語っていった。

■全編動画(18:58~ 1時間48分)

※アスペクト比に不具合があります。なにとぞご了承ください。

  • 講師 松嶌徹氏

阿波が舞台、史実だった天孫降臨神話

 僧籍はないが、真言宗の寺を維持している松嶌氏は、「これから話すことは、非常識だと受け取られるが」と断りつつ、「古事記、日本書紀で語られる天孫(てんそん)降臨の神話は、これは歴史的事実だ。その舞台はすべて、徳島県内の阿波だった。邪馬台国論争も、ヤマタイコクと読むからわからない。ヤマドーンコクと発音し、大和の国の意味になる」と述べた。

 また、大和王朝の祭祀を仕切っていた忌部(いんべ)族が、日本全国に農耕、機織りを伝えた。彼らは、日本文化の基礎となるライフスタイルを築いた一族で、その伝統は、今でも皇室で忠実に受け継がれている」と話す。

 本題の弘法大師(空海)の話に移った。まず、空海を巡る謎について、「地方豪族の身分の空海が、遣唐使に選ばれること。唐での不可思議な行動と、20年帰ってはいけない留学僧の身分にもかかわらず、2年あまりで帰国したこと。帰国後は隠遁していたが、嵯峨天皇の時代になったとたん、姿を現して出世したこと」などを挙げ、「空海をバックアップする大きな勢力がいたのではないか」と推理した。

日本の神と仏の融和を試みた弘法大師

 松嶌氏は、まず、高野山のふもとの天野盆地に建立された、丹生都比売(にゅうつひめ)神社と、高野山境内の、御社(みやしろ)神社に祀られている丹生明神に注目した、という。「高野山は女人禁制なので、丹生都比売尊を「丹生明神」と性別をぼかして祀っているのだ」。

 「天野盆地一帯は、弘法大師を応援した一族の領地と思われ、丹とは、水銀の意味で、和歌山から徳島にかけて大きな鉱脈が流れている。水銀は、古代、腐敗をふせぐために辰朱(しんしゃ)として重宝された」と解説を挟みながら、「弘法大師は高野山で、密教、仏教の聖地の建立というよりは、日本の神と仏の融和を試みたのではないか」とテーマを展開していった。

弘法大師と天野盆地のつながり

 (和歌山県紀の川市近くには)「鎌八幡宮という呪いをかなえる神社がある。大きなイチイの木にカマを打ち込み、カマが木に吸い込まれるとその願いはかない、かなわないカマは落ちると言い伝えのある恐ろしい神社だ」。

 「徳島県石井町に、大国主命の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)を奉った諏訪大社本宮(長野県諏訪大社の本宮)がある。そこには、交差した藁のカマや、鎌八幡神社にもあった結界を示す緑泥片岩の板碑(いたひ)も見つかる」と、松嶌氏はアリバイ崩しのように、弘法大師と天野盆地の一族とのつながりをあぶりだしていった。

仏教ではなかった弘法大師の真言宗

 さらに、「弘法大師が開祖した宗教は、仏教ではない。お釈迦さまは先祖崇拝は認めていない。インドに墓はない。輪廻転成だから、どこに生まれ変わるか、定かでないからだ。先祖崇拝は中国発祥。家系尊重の文化が仏教とミックスした」と話す。

 「ゆえに、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ=神道と仏教を両立させる理論)は画期的な考え方で、インドでは、バラモン、ヒンドゥーの神々を、仏法を守るために仏教に組み込んだ(曼荼羅)。空海は、このシステムを持ち込んだ。天照大神は大日如来や十一面観音だ。阿弥陀様は八幡様。薬師如来は須佐乃袁尊(スサノオ)などになった。天皇は、神主のトップなので、仏教では困るのだ」。

 では、なぜ、弘法大師は神仏の融和を試みようとしたのか。松嶌氏は「弘法大師は、宗教争いが念頭にあったのではないか」と解釈する。

嵯峨天皇と弘法大師

 「弘法大師は、中国で宗教間の争いの無駄を知り、本地垂迹説を学んだのではないか。そして、嵯峨天皇に『国を納める方法は密教だ』と教えたのではないのか。嵯峨天皇は、死刑を初めて廃止した天皇でもある」。

 このように述べて、松嶌氏は弘法大師の『即身成仏義』を解説した。『『六大無礙(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり』は、宇宙を作っている6つの物質は、常に動き溶けあっているという意味だ」と話し、六大、四曼、三密の解釈を述べた。

 さらに、「理屈や法や欲などで戦うのではなく、自分の中を確かめて、世の中のすべてものが、常に解けあって存在していることを知り、身(行動)、口(言葉)、意(思い)をもって実行していく。そこに、あらわれてくるものこそが、即身成仏そのものだ」と説いた。

密教はオールマイティ

 松嶌氏は「日本人は雑種民族。アイヌと沖縄を別にすれば、DNA鑑定からは特定のルーツをたどれない。縄文、弥生、黄河、朝鮮、カスピ、北方、ポリネシアなど、すべての民族の血が混ざっている。なぜなら、過去、宗教戦争をしなかったからだ」とも述べ、密教の良さを次のように訴えた。

 「密教とはオールマイティな宗教。いろんな民族の儀式を取り入れている。今、真言宗は信者が減っている。なぜなら、お経が長いからだ。迷信宗教であるともいう。しかし、日本のルーツがいろいろ取り込まれ、ノウハウが詰まっている宗教なのである」。最後に、弘法大師のご真言「南無大師遍照金剛」を唱えた。

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「「宗教対立を避けるため、弘法大師は神仏の融和を試みた」 〜歴史講座 松嶌徹氏」への1件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見より) より:

    天皇家・麻・邪馬台国・忌部・遍路、このどれか一つでも関心があれば(なくても)、聴いてほしい。ここには夢とロマンと学校で教えない歴史がある

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