【IWJブログ】「第二のクリミア」はあるのか? ウクライナの今 ~岩上安身によるロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 服部倫卓氏インタビュー 2014.4.21

記事公開日:2014.4.21 テキスト
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(構成:ゆさこうこ、文責:岩上安身)

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 4月6日、ウクライナ東部のドネツク、ルガンスク、ハリコフの三都市で、親ロシア派のデモ隊が州庁舎を占拠した。デモ隊が要求しているのは、ロシア編入の是非を問う住民投票である。

 3月16日にクリミア自治共和国でロシア編入を問う住民投票が行われ、96.77%がロシアへの編入への賛成を示した。これを受けて、クリミアとセヴァストーポリ特別市はロシアと編入条約を締結した。多くの国々が認めないながらも、クリミアとセヴァストーポリ特別市は正式にロシアに編入されることとなったのである。

 ウクライナ東部で現在起こっている動きは、第2のクリミアを生み出す可能性があるのか。昨年11月末から始まったウクライナ政変は、まだ終わりの兆しを見せていない。今後どこに向かっていくのだろうか。

記事目次

 キエフでの政権打倒までをウクライナ政変の第1幕とするなら、クリミアのロシア編入は第2幕、そしてウクライナ東部での親露派住民の決起とウクライナ暫定政権による武力弾圧は第3幕である。

 なぜ、新たに独立し新興の国民国家として歩んできたはずのウクライナが、突如このようにバラバラに解体していくのはなぜなのか。

 3月20日、クリミアでの第2幕が閉幕し、第3幕目の緞帳が上がる直前の時点で、ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所の服部倫卓氏に、インタビューを行った。

 ロシア・ウクライナ事情に精通している服部氏が、「米国とNATOが介入し、ロシアと闘うという事態は?」という私の質問に対し「想像もできない悪夢です」と答えている。その「悪夢」は今や目前にまで迫ってきている。

 以下、インタビューの実況ツイートをリライトして掲載する。

なぜ大統領選まであと一年なのに待てなかったのか?

岩上「バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)以外の旧ソ連諸国は、New Independent States(新興独立国)と呼ばれました。主権国家と呼ぶには十分ではないため、この呼ばれ方をしていたのです。ウクライナも含め、この新興独立国の空間にはいろいろな民族が攻防していていました」

服部倫卓氏(以下、敬称略)「”民族”というのは現代の所産です。民族の予備軍の集団はあったけれども、別の民族になりえたかもしれないのです」

岩上「簡単に歴史が語られていますが、広い視野を持ち、複眼的に見ないといけませんね。ウクライナは今、大変緊張をはらんだ展開になっています。服部さんはブログでウクライナについてお書きになっていて、『ウクライナ最強のドネツクのクラン(※1)』など珍しいタイトルをつけたブログをお書きになっていますね」

(※1)「クラン」とは「派閥」のことであるが、ロシアの「クラン」は、中国における「帮」(ほう)のような強固な関係性を持つ。「マフィア」とも時に称される。

服部「ソ連/ロシアの歴史において、モスクワ出身者がリーダーになったことがないのです。それはウクライナも同じで、キエフ出身者ではなく地方出身者がリーダーになってきました」

岩上「現在のウクライナの状況を短期的に見れば、昨年の11月から政変が始まり、今年2月についに政権が倒されました。そして、焦点がクリミアへ向かい、住民投票が行われて、ロシアへの併合という動きになりました。世界に与える影響は大きいと思います」

服部「昨年11月にヤヌコビッチ前大統領がEUとの連合協定を棚上げした時に、現地に行く機会がありました。キエフではいろいろなデモがあり、キエフは『ウクライナ政治のパフォーマンス・ステージ』なのです。キエフの目抜き通りにはティモシェンコ前首相の釈放運動のテント村のようなものが常設されていて、そういう光景は見慣れていました。

 協定棚上げの3日後くらいに見たときも、それほど抗議行動が大きかったわけではありません。当時、国を揺るがすようなおおごとの雰囲気は感じませんでした。

 デモのきっかけはEUとの協定の棚上げでしたが、今になって思うと、問われていたのはヤヌコビッチ政権の存在そのものだったのです。デモに参加していた人が自覚していたかは別として、論理的帰結として、政権打倒ということになりました。アザロフ首相の辞任によってもデモはおさまりませんでした。

 そもそも、ヤヌコビッチ政権の任期はあと一年でした。ですから、普通であれば、次回の大統領選挙で争点とすればよいことなのです。なぜそうならなかったのかが、ポイントです。世論調査では、EU協定参加の支持とロシア関税同盟参加の支持は、二分されていました。選挙をしたとして、野党が勝てるという確証がない状況でした」

服部「ウクライナの野党は党利党略に走りやすい傾向にあります。ウクライナ政党名は何を主張しているか分からないものが多いです。野党間の共闘が非常に難しいという事情があります。一方で、ヤヌコビッチ政権憎しという感情が国中に満ちあふれていました。ですから、正攻法に選挙に打って出るというよりも、街頭デモで政変を起こそうとしたのです。デモでは野党が共闘できますから。いつしかデモを続けることが自己目的化してきました。そして、大きな衝突が起きました」

ウクライナ暫定政権はなぜロシア語を公用語から外したのか

岩上「政権とそれに反発する野党がいました。それが親ロシア派、親ヨーロッパ派と重なるのでしょうか?」

服部「ウクライナ国民の大多数は、EUと連合協定を結ぶといっていても連合協定の中身を分かっていないと思います。ヤヌコビッチという邪悪な存在に対するアンチテーゼ的な『ヨーロッパ』がある。現状への反発として、親ヨーロッパという立場が出てきました」

岩上「過激な人も中に入っていますね。かつてウクライナはナチ側に立っていたというイメージもあります。このことが、ロシアに警戒感を抱かせました。与野党の逆転があっても、和解しえたと思いますが。スボヴォダ党や右派セクターの動きは何なのでしょうか。

 新政権は、ロシア語も公用語としていた法を廃止し、公用語はウクライナ語のみとしました。これは言語・社会生活上の民族浄化のようなものではないでしょうか。なぜ、東西分断を自らやったのか、不可解でなりません」

服部「マスコミでは東西と言っていますが、専門家はウクライナを西部・中央・南部・東部の4つに分けて考えています」
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服部「キエフあたりでも、ロシア語とウクライナ語は半々ぐらいです。並列的な関係というよりも、ウクライナ語は農民のなまりというような偏見じみた認識があります。

 ウクライナはソ連からの独立後、ウクライナ語を公用語としてきました。ヤヌコビッチ政権のときに、第二の公用語としてロシア語を使うことになったのです。それが例外的な対応で、新政権はそれを元に戻したということになります」

ウクライナとしてのアイデンティティ

岩上「NATOや米軍が介入してきてロシアとの衝突が起こるということはありえますか」

服部「想像もできない悪夢でしょうね」

岩上「ウクライナの一般大衆はそういう自覚がなく、平和共存を望んでいるのでしょうか」

服部「単一国家を望む人はクリミアに多いです。ロシアとの統合を望む人もいます。しかし、ウクライナとしてのアイデンティティは根付いてきていると思います。

 EUへの参加を望んでいる人も、ロシアと障壁を設けたりしたくはないと考えています。また、一定程度、ロシアとの統合を望む人はいます。ですが、たとえば、東部のドネツクの人がウクライナを出て単独でロシアに統合するということは考えていない(※2)。ウクライナとしてのアイデンティティは根付いているのです。

 クリミアでは、言語政策が代わり、自分たちの代表であったヤヌコビッチが引き下ろされ、そこにロシアからの働きかけあり、それらが重なって、ロシア派が多くなりました」

(※2)服部氏ほどの専門家でも、ドネツクから、分離主義者があらわれ、視聴者を占拠してまで、ウクライナからの自立、ロシアからの支援を求めて声をあげるとは思ってもいなかった、ということであろう。それほどまでに、事態の展開は急である、ということだ。

ウクライナにおけるユダヤ人の歴史

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