【大型連載スタート!】女子大生、内戦下のシリアに潜入す 第1回(IWJウィークリー26号より一部転載) 2013.11.23

記事公開日:2013.11.23 テキスト
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特集 中東

★メルマガ「IWJウィークリー」26号を発行しました!その中から、23歳の「大型新人」による新連載「女子大生、内戦下のシリアに潜入す(第一回)」の冒頭部分を転載します。ぜひ、IWJ定額会員にご登録いただき、「IWJウィークリー」をご購読ください。

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┏━大型連載スタート!━━━━━━━━━━
◆◇【7】女子大生、内戦下のシリアに潜入す(第一回)◇◆
(鈴木美優)
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 オリーブ畑の中、シリア人のカーレク氏を先頭に無言で走る。重い荷物を持ちながら、足場の安定しない畑の中を走るのはかなり体に応えた。すぐ近くにトルコ兵の基地があり、国境沿いに監視カメラがある。狙われにくいよう、身を低くしてジグザグに走らなければならない。

 オリーブ畑を抜けると、有刺鉄線フェンスが敷かれていた。カーレク氏はおそらくここを目指していたのだろう、フェンスには一部壊された箇所があり、鉄線に触らないようくぐり抜けることができた。カーレク氏とはここで別れ、今度は広大な草原を突っ切れと言われた。草原の反対側のオリーブ畑で、ムスタファと通訳のアフメドが手を振って「走れ、早く来い!」と手で合図していた。

 3〜400mくらいあっただろうか。障害物も何もない草原を走るのはさすがにヒヤヒヤした。上を見れば監視カメラと山の上に建つトルコ軍基地が見える。走っては歩き、また走っては歩きを繰り返した。「走れ!」とまたムスタファ氏らが手で促した。
 
 ようやく、オリーブ畑内に入った。ついに、シリア入国だ。

女子大生がシリアに

 内戦下のシリアに、この夏、足を踏み入れた。

 書き出しの文章は、そのシリア入国の瞬間の様子だ。  

 2011年3月に革命が起こって以来、シリアでは内戦状態が続いている。シリアでは、現大統領のバッシャール・アル=アサドの父親、ハーフィズ・アル=アサド前大統領が1971年に政権を握って以来、アサド家とバアス党(※1)による独裁政権が続いている。

 2000年に大統領に就任したバッシャール・アル=アサドは当初、民主化を含む政治改革を訴えていたが、反改革派などの妨害により改革は思うように進まなかった。2003年のイラク戦争において、隣国イラクで同じバアス党政権のサダム・フセイン政権が、わずか1ヶ月足らずで崩壊したことに危機感を感じ、アサド大統領は集会やデモの禁止、民主活動家の逮捕など、民主化とは反する制裁を国民に押し付けるようになった。

 2010年にチュニジアで始まった「アラブの春」(※2)と呼ばれる革命運動に影響を受け、シリア内でもデモや抗議活動が盛んに行われるようになった。2011年3月に入り、運動はより活発化し、治安部隊による発砲で死亡する抗議者も出るなど、事態は深刻化していく。やがて反体制派が各地で団結し、自由シリア軍(※3)やシリア国民連合(※4)などの組織が設立され、内戦への道へと進んでいった。

 今年、私が日本を出た1週間前の8月21日には、シリアの首都ダマスカスで化学兵器が使用され(※5)、米軍や英軍、仏軍がシリアに軍事介入をするなどとの会談を始めていた。結局軍事介入は持ち越しとなったが、正直、自分でも情けないくらいに緊張していた。
 
 なぜ、内戦下のシリアに行こうと思い立ったのか。シリアに入国するのに、なぜ有刺鉄線の穴をかいくぐらなければいけなかったのか。

 これからそのいきさつを綴ろうと思う。

★この続きは「IWJウィークリー」26号本編で!

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